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タケとあられのブログ

リタイアした夫婦が、郷里の片田舎で両親の世話をしながら、農業や自治会の仕事に追われ、ゆとりがあるはずだった生活に揉まれながら諦めずに趣味に拘り、二人三脚で生き方を模索する、、、そういう記録を発信します。
「家康、江戸を建てる」を読む
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    「家康、江戸を建てる」  門井慶喜  祥伝社

     

     ようやく読了した。この本もずいぶん時間が掛かった。読書に当てる時間が、特に最近取れていなかったからだ。

     最近購入した書で、歴史物乍らオムニバス風の解説書のような本だった。家康が、秀吉によって関東に移封させられてから関ヶ原での戦いに勝利するまでの期間で、江戸の町や江戸城を建設したかを扱っている。こういう部分は、歴史の中でも戦闘や権謀術策とは異なり、借インフラの整備に似て地味な内容になる。従って、これまで歴史の本でもあまり見かけなかった内容で、却って興味を引いた。

     

     全体は5話にまとめられて、ヾ愿谿貘咾亮水、通貨の鋳造、0料水の確保、ぞ襪寮亞澄↓ス掌余襪療啓蕁△箸い構成で書かれている。それぞれ、家康に任された特定個人を中心にその苦労話を紹介している。

     

     ,亮水では、伊奈忠左衛門が主人公だ。東京湾に流れ込み下流域を湿地帯にしていた利根川の流路を東進させて氾濫を防ぎ、玉川や荒川、隅田川と水路整備に貢献した。以後、代々関東郡代という幕府の代官職に就く。

     

     △猟眠瓩肋判の鋳造だ。秀吉が大判を鋳造して武将たちへの恩賞としたが、家康は江戸の町での通貨として小判の鋳造を指示した。小判のほかに一朱金や銀も製造することになる。輸入した銅銭の重量で金額を決めていたそれまでの制度から大きく発展する。貨幣の材料として、金銀が大量に必要になり、鉱山の開発が進む。大久保長安がその中心になる。

     

     は江戸の町を発展させるためには大量の飲料水が必要になる。しかも、江戸城内にまで用水路を引く工事が始まる。湧水の選定や水路建設、更には水道橋の建設まで及ぶ。現在も残る水道橋の地名はその名残だ。ここで取り入れられたのが桝の技術だ。低く流れてきた水をまずでためると水位が上がり、より高い排出口から流すことが出来る。そういう仕組みだ。

     湧水の選定では、京の菓子職人も加わる。

     

     い寮亞世蓮江戸城本丸の石垣や掘、曲輪、門などすべての石垣で、近隣から巨石を切り出して運んだ。当時の石の産地は伊豆半島で、その東側に集中した。海路で運送するために港に近い山が選ばれた。山から石を探して切りだす職人と、石を削って積み上げる職人が協力して取り組んだ。場内の部署ごとに各大名に割り当てられた。巨大な石垣の切り出しや運搬、積み上げがとてつもない事業だということが良く分かった。

     

     イ療啓蕕蝋掌余襪療啓蕕里海箸如⊇忠の思いは家康と違って天守不要論を訴えている。大規模な戦が無くなれば、城攻めもなくなり、天守の意味は権威の象徴でしかないというのがその根拠だ。金や労力の無駄というのが秀忠の考えだった。

     一方家康は、各大名への割り当てで財政難を招くことを主眼としていた。また、当時の流行に従わず漆喰で固めた真っ白な天守に平和の願いや戦国の世に落命した多くの武将の鎮魂を籠めたというが、それは良く分からない。

     武家や寺院も漆喰が塗られているが、それには訳がある。材料コストが低いということだ。だが、江戸城に使われた漆喰、つまり石灰石の量が半端でなかったそうだ。関東各地に材料を求めたようだ。

     

     歴史で扱われる勢力争いなどとは違って、一夫変わった視点から見過ごされやすいテーマでよくまとめられた作品だと思う。タケ

    | 読書 | 07:29 | comments(0) | - | - |
    「信長の原理」を読む
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       「信長の原理」垣根涼介 角川書店

       

       読了までに時間がかかった。このところ、読了の度にこういう書き出しで始まっている。理由は、じっくり読む時間が取れないからだ。

       この本のタイトルにまず惹かれた。信長についてはこれまでに読んだ本からもかなり詳しい。だが、書く側のつまり作家が新たな視点でとらえ直したから、著書が世に出た。こう考えればその内容を読んでみよう、ということだ。加えて、著者に興味があった。

       

       以前、この著者の作品を読んだことがある。最も気に入ったのが「ワイルドソウル」だ。ブラジル移民が当時の政府が取った棄民製作で行われたという歴史の汚点を取り上げて、物語はその中で逞しく生きる人たちを描く。読み終わるまで、国策が国民を犠牲にするものだという思いが拭えなかった。読後感は良かった。それを引きずった感じで興味を持った。

       

       結構な量の史実(読んで知った知識)を知っている。それが新たな視点ではどのように描かれているか、それが焦点だった。主だった部下との関係、特に昨今注目されている明智との関係を深く掘り下げている。本能寺の襲撃で物語は頂点に達する。

       

       主な点を挙げれば、信長はあくまで自分が頂点に立つ。人間的な資質は当時の万人が認める。だが、癇癪持ちでもある。自らの理屈が分かる人物は大事にされる。敵でも降参すればおおらかに許す。一方、言っても分からない武将に対しては反意がない限りそれなりの扱いで遇する。人柄を見切って用いるところは優れた君主でもある。

       

       だが、過去に犯した誤りを決して忘れない。人材として不要になった時、過去の罪科を持ち出して処断する。その辛辣さに将来を危ぶんで離れていく武将が次々に現れる。それらは悉く破滅の道をたどる。

       

       こういう話がある。勲功に対する報酬として領地を与える。だが、根底の考え方が違う。領地は管理を任せただけで、必要を感じたときは他の領地と交換させる。一時的に与えただけだという論理だ。それまでの我が国の歴史が、全国を支配下に置いた後地域ごとに代官を置いて、以後各地で力を付けた代官が大名となり、下克上の世を迎えている。これをさせない管理社会を目指しているようにも思える。

       

       家来は中間管理職であり、持てる能力を最大限に発揮しなければ跡がないという実に厳しい上下関係を敷くことになる。

       本能寺の事件に至る背景はかなり詳しく分析している。分析が細かくその説明が詳しくややくどいという印象を受ける。だが、タイトルのなかの「原理」という言葉に著者の思いが込められているように感じた。なかなか良くかけている作品だと思う。タケ

      | 読書 | 21:10 | comments(0) | - | - |
      「殺人犯はそこにいる」を読む
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         「殺人犯はそこにいいる」 清水潔 新潮文庫

         

         まず、この本を読了するのにかなり時間が掛かった。理由は読書に充てる時間の確保が年始から余りできなかったからだ。ごく短時間ずつ読み繋いでようやく読了したのだった。読後感は、極めて読みやすい文章で、著者は流石報道記者だなと思った。論理展開や表現が適切で無駄がない。しかも、文脈には遊びもなく、ある種の迫力を感じた。それは、読者に自身の主張を理解してほしいと願う気迫のようなものだ。扱っているテーマはそういう重大な問題だった。

         

         表題は、本来の殺人犯が著者の独自捜査によれば事件現場のすぐ近くに何食わぬ顔をして生活しているという。幼児を誘拐して殺害した連続殺人事件だ。捜査に繋がる情報を提供するが、警察は動かなかった。時効の問題とそれ以上に壁となったのは、えん罪事件が起きていたからだ。犯人と決めて逮捕、死刑判決まで漕ぎ着けた殺人犯が再審の結果無罪になった。つまり冤罪だった。冤罪を起こした警察の取り調べや、逮捕の決め手になったDNA鑑定の誤りなどが白日の下になるのを隠すために、時効成立を理由に捜査を継続しなかった。現場の判断だけでなく組織の上層部が絡んで意思決定された結果を告発するものだ。

         

         現実に起きた事件と冤罪で、マスコミ報道で知らされた記憶がある。同じ処理ミスが考えられるDNA検査で逮捕、有罪となった事件が別にある。その事件では、死刑判決から間もなく死刑が行われている。検察から処刑を急ぐような働きかけがあったようだが、処刑してしまえば一件落着等というような極めて強引で乱暴な納め方だった。この作品でも触れているが、処刑された事件の冤罪は取り返しがつかない。そこに世間の注目が及ばないようにするために、真犯人を野放しにしたと著者は怒る。

         

         何故冤罪は起きるのか、原因は一様ではないが、無罪の罪で長年刑に服したり、処刑された本人の家族はたまったものではない。事件の発生から処刑までには、組織の論理や関係者の思惑が様々な形で絡む。そして、権力は決して誤りを認めようとしない。屁理屈でもなんでも言い訳をしながら無視する。ここが、次なる冤罪を生む危ういところだと当事者が気づいていない。

         

         著者が凄いと思ったのは、報道のための取材の中で冤罪の匂いを嗅いでから再審無罪を勝ち取るまでの取り組みと、分厚い権力の壁にも臆せず発揮した正義感だ。ここまでやるかという読後感だった。冤罪の構造はともかく、一人の記者がどのように冤罪を勝ち取ったかをよんで知る価値があった。

         

         最後に、文庫のカバーに印刷された出版社の文責の言葉を掲載する。

         

        「申し訳ありません。僕はこの本をどう進めたらいいか分かりませんでした。どうやったら「面白い」「魅力的だ」と思ってもらえるのか、思いつきませんでした。だからこうして、タイトルを隠して売ることに決めました。この本を読んで心が動かされない人はいない、と固く信じています。500Pを超える本です。怯む気持ちは分かります。小説ではありません。小説以外の本を買う習慣がない方には、ただそれだけでもハードルが高いかもしれません。

         それでも僕は、この本をあなたに読んで欲しいのです。これまで僕は、3000冊以上の本を読んできました。その中でもこの本は、少しでも多くの人に読んで欲しいと心の底から思える一冊dす。

         この著者の生きざまに、あなたは度肝を抜かれ、そして感動させられることでしょう。こんなことができる人間がいるのかと心が熱くなることでしょう。

         僕らが生きるこの社会の不条理さに、あなたは憤るでしょう。知らないでは済まされない現実が、この作品では描かれます。あなたの常識は激しく揺さぶられることでしょう。あなたもこの作品と出会って欲しい。そう切に願っています。ここまで読んでくれた方。それだけで感謝に値します。本当にありがとうございます。」

         

         書店で手に取って、この文章を読んだことから読み始めたのだった。感想はまさに、この文章通りだった。タケ

        | 読書 | 16:01 | comments(0) | - | - |
        限界集落株式会社」
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          「限界集落株式会社」を読む  黒野伸一  小学館文庫

           

           農業の全く素人である若者が、ふとしたきっかけで限界集落の再生に取り組む物語だ。作者が参考にした農業関係の書籍一覧が掲載されている。作者も全くの素人であることが分かる。物語はあくまで物語で、現実の農業問題は同じようにはいかない。単に、コメディとして読むなら結構面白い。私が読んでそう感じた。

           文章が平易で分かりやすい。しかも無駄な表現が全くない。瑞雲読みやすい作品だと感じた。

           それにしても、現実が小説のようにいかない原因が何かを考えると意味があるかもしれない。昨今、新しい農業のスタイルというのがあって、大成功を収めている例も無くはない。つまり、これまでの農業に変化や新しいことを受け入れる力がないということなのか。

           

           限界集落なら、存続のためには個人間の利害の対立や世代間のギャップがあってはならない。何をなすべきかについて障壁のない状態で知恵を出し合うことが求められる。そういうことを考えさせられた。タケ

          | 読書 | 13:42 | comments(0) | - | - |
          「混声の森」を読む
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             「混声の森」  松本清張  カッパノベルス

             

             読了までかなり時間が掛かった。字が小さいこと、会話も描写も表現が細かく文字を追っかけるのに時間が掛かること、ストーリー展開がどぎつく、私には重苦しさに長時間耐えられなかったことなどがある。

             精神的に辛い局面がこれでもかという調子で次々と発生する。職場での権力闘争、不貞がもとで崩壊する家庭、生身の人間なら潰れそうになるくらいくどい。そういう意味では主人公は超人的だ。策を弄して成功したかに見えて、最後はまたドンデン返しが待っているという皮肉な結末だ。何でこんな書籍を読み始めたかと途中で考える。それは、松本清張の著書だから。きっと面白いと予想して手に取った。

             という訳でこの本は余り勧めたくない。文中の一説を紹介したい。親と子の関係について主人公が担任教師と語る場面だ。

             

            「家父長家族では、親に対する服従が美徳とされ、孝行が道徳の根底とされていた。むろん、親の子に対する庇護・愛情は道徳的に要求されていたが、家の道徳としてはむしろ高校が主となり、親と子の相互の愛情ということは、あまり表面には出なかった。ところが、近代家族に会っては、親と子の結合は、人格相互の結びつきであり、孝行は義務的なものであるよりは、むしろ自然発生的なものであるはずだと考えられるようになった。」

             

             自然発生的だとすれば、自然発生しない場合もあり、植物や生物と同じではないか。孝行は自然発生的なものでないとするほうが合理的ではないかという疑問が生じる。それに対する考え方として、倫理社会という科目の中でこう答えている。

             

            「こうした反抗と孤独感とは、青年期の特徴であって、むしろこの特徴を積極的に生かすべきである。そのためには、反抗が単なる反抗や、安価なヒロイズムに終わらないように、反抗したい気持ちの世って起こるところを検討し、一方ではじぶんの在り方を反省し、他方では成人たちの世界のどこに欠陥があるかを正しく認識し、批判して、それを超える価値を自ら作り出すよう努力しなければならない。(後略)」

             

             このくだりは、作品が書かれた時代の倫理社会の教科書であり、文科省の指導要領から引用している。余りに論理的すぎて哲学的だ。こんなことは若者に理解されるはずがない。誰も耳を貸さない。著者の皮肉だ。ただ、早くから、儒教で言うような縦の人間関係から脱却しようとしていることが伺える。親と子が人格的に平等だとする。だが、人生経験の差や養育義務の関係がある限り、平等の概念を公平に分かち合うのが難しい。親次第ということになる。そんなことを考えさせられた。タケ

             

            | 読書 | 22:01 | comments(0) | - | - |