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タケとあられのブログ

リタイアした夫婦が、郷里の片田舎で両親の世話をしながら、農業や自治会の仕事に追われ、ゆとりがあるはずだった生活に揉まれながら諦めずに趣味に拘り、二人三脚で生き方を模索する、、、そういう記録を発信します。
「地方議会の役割に期待」投稿
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    令和元年6月1日 日本海新聞読者のひろば 「私の視点」

     

     田植準備で全く余念のない中で、あられが教えてくれた。あられも実は、他人から教えられた。

     というのも、この投稿は、地方議選が行われる直前に行ったものだ。投票前に掲載されてこそ、被選挙人も選挙人も、意識が変わるかな?と思うところがあった。従って、選挙が過ぎればただの理屈になってしまうような気がしていた。

     

     2週間経っても掲載されず、この投稿は新聞社内で没になったものとすっかり頭の中から消えていた。それが、突然降って湧いたように掲載された。私にはそういう感覚だった。投稿してから1か月後で、考えて見れば選挙の前後は敢えて外された格好だった。

     では、その原稿を記す。タケ

     

    「地方議会の役割に期待」

     

     近年取り沙汰されるのが地方議員のなり手不足だ。人口の都市集中で若者が減り、地域に活気が消えるなか、原因とされるのが魅力の無さで、その主なものが議員報酬や年金制度への不満だ。昔あったと思われる役得も今はない。

     議員報酬は本当に少ないのか。これに対しては、日当制にすべしという声もある。そもそも議員は兼職が可能だ。議員報酬が生活を保障するというものではない。議会に出席するのが主な政務活動だから、その日数分の報酬で良いというのが日当制だ。報酬額が少ないかどうかは、実際にどれだけの働きをしたかを考えるべきではないか。地域のためにどのような貢献をしたかということだ。

     最近、議会で行う提案件数が減少しているという報道があった。議会は行政の監視役であり、予算や事業がその承認を経て実現する。また議会には議員提案が認めらえている。毎月の議会で何かしらの質問をすること自体が負担になっていないか。そうであれば、資質の問題と言わざるを得ないが、大切なことを見逃してはならない。

     県内のある町議会で100委員会という仕組みを築き上げた。なり手不測の現実に直面して議員団が知恵を絞った結果だそうだ。魅力の無さは言い換えれば地域の課題や住民に向き合う取り組みが不足して、地域との一体感が失われた結果と言えないだろうか。課題に真摯に向き合い、住民の期待に応える議会になれば、有為の人々の目標となろう。

     報酬が税金で支払われる以上、住民生活の向上や地域の課題解決への取り組みは不可欠ではないか。地域が抱える課題は山積している。議会がまとまって知恵を絞り、対応策を提案されるよう期待したい。

    | 日本海新聞「やまびこ」投稿 | 06:19 | comments(0) | - | - |
    「美術館建設の条件に違和感」
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       久々に投稿した。4月1日のことだが、土曜日だから月曜日(3日)から10日目の掲載だった。

       何故投稿したかといえば、投稿を目的にして原稿を作成したのではなく、1日のニュース報道で触発されてその日の夜ネットで投稿した。

       県立美術館建設については様々な判断があり紆余曲折を経て中部倉吉市に建設と決まった。ところが、県議会で出された条件には驚いた。議会は誰のために何を考えているのか問いたくなった。多数派の現政権与党議員や県庁所在地選出議員などの賛成多数で条件付き承認とされたのだった。

       

       以下、掲載原稿。

       

       ようやく、鳥取県立武術間の建設場所が決まった。まずは関係諸氏に敬意を表したい。だが、県議会において条件付き承認だったことに、特に「東部への配慮うんぬん」には違和感を禁じ得ない。

       県内で総合的な美術館の役割を果たしていたのは、鳥取県立博物館の他に米子市美術館と倉吉博物館がある。東部の方々にとっては、県立博物館が市立美術館のような位置づけだったのだろう。

       理解に苦しむのは、鳥取市にゆかりの作品などを以後も県立博物館に残す案が付記されたことだ。まるで、鳥取市民の財産として少しは残せというふうに聞こえる。新しい県立美術館でそれらを見られないのもまた困った話。中部までお出かけいただくわけにはいかないだろうか。

       鳥取市桂見に建設する案が検討されなかったという指摘も噴出した。当時は、「建設=箱もの」と見なされ、建設する意味と費用が見合わなかったからだ。

       県庁所在地ゆえに、そこに集約する諸施設利用の優位性はやむを得ないとして、一方で県民の施設でもある。

       美術館建設の議論の中では「県民のための」、そして「箱ものにならない」が有力な判断基準だろう。広く県民がこぞって新美術館を利用して、県民文化の一層の醸成を目指すのがスジというものだろう。

       

       以上。タケ

      | 日本海新聞「やまびこ」投稿 | 19:19 | comments(0) | - | - |
      日本海新聞「読者のひろば」
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         2016.4.4(月)の朝刊に掲載された私の投稿。投稿から1週間はかからなかった。全く初めての経験で、一人で眺めても気恥ずかしさを感じた。私が投稿したのが「私の視点」という分類になる。
         同じ日、県立美術館の関連で他にも投稿があった。鳥取市の方だが、この方は当然の如く鳥取市に建設を前提とした論調だ。米子市や倉吉市には市立美術館が存在感を示すと述べて、それらしいものがない鳥取市に県立美術館をという展開には、流石に、鳥取市が鳥取県民のものを私物化していると思わざるを得ない。

         この投稿と並べて、「県立美術館を考える」というテーマで括られた。では、私の投稿を紹介する。

        「身近で役立つものに」

         先日の本欄に掲載された「”箱もの”美術館に疑問」という米子市の赤路さんのご指摘に賛同します。中部にとのご意見にも心強いものを感じます。箱物=お飾りは、わが鳥取県には無用と考えます。そもそも、収容物の問題、耐震問題があったと聞きますが、わざわざ美術館として建設する意味は、広く県民が利用できるもの、合わせて地域創生につながるもの、この2点が視野にない建設はまさに無駄遣いでしょう。ただ、何れか地に建てれば良いというものではないはずです。

         中有に誘致する集会が先ごろ、開催されました。そこで彫刻家の澄川喜一氏が公演で紹介された芸術文化センター「グラントワ」のコンセプトが大いに参考になると感じました。

         県立美術館の建設の是非が決着したのなら、どのような美術館にするか、芸術作品の公開展示にとどまらず、青少年教育や生涯学習とのリンク、既存の観光資源とのコラボ、広く県民の余暇や余生の充実など、身近で役立つものにすべきでしょう。美術館を生かすのも支えるのも県民が担うという視点では、話し合いがまだ不十分だと感じます。

         しかしながら、「どういう美術館にするかは美術館を運営される方々の問題」として誘致先の議論が高まっています。誘致先の人々をはじめとして県民が、美術館を軸にする新しい文化・生活スタイルを追求する永続的な取り組みに地方創生が重なります。

         国の機関を地方に分散させる試みが始まったところです。東西100キロのわが県が、例えば東部が行政、中部が芸術文化、そして西部が商業というように調和の取れた発展を果たすのが最善だと思います。

         江戸時代に、鳥取藩が因伯を治める理想の地として、北栄町の茶臼山に城郭建築の縄張りをしたという事跡を参考にしてはいかがでしょうか。

         こういうことだった。タケ
        | 日本海新聞「やまびこ」投稿 | 07:48 | comments(0) | - | - |
        「戦中戦後の難、今は懐かしい」
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           とうとう8月19日のやまびこ欄に掲載された。
           入院中の母が、ベッドの上だけの生活が退屈だとこぼすのを、元気になるまでの治療だからと励まして、投稿原稿を促していた。

           ある日病院に見舞った時、原稿を差し出して、不味いところを直して出してくれと頼まれた。これまでは、全て我々に見せること無く送っていた。初めてのことだが、どうも集中力が続かなくなったらしい。
           募集されたテーマを意識して認めており、是が非でも出してやりたかった。

           帰宅して原稿を読んでみた。字が読みにくい。筆圧の関係と旧字体のためだが、文脈も部分的におかしい。どう処理するかで大いに迷う。
           翌日、母に、訴えたかった内容をを確認して修正を極力避けながら原稿をまとめた。次の日、母にそれを見せると母は何も言わず、ウン、と頷いた。

           投稿後、そのことを母に告げると、大体10日から12日位は先のことになる、と言った。8月8日、ポストに投函。11日目の掲載だった。

          「戦中戦後の難、今は懐かしい」
           

            戦後70年が過ぎたと叫ばれていますが、私が94歳、成る程と思うこの頃だ。

           戦時中、家に残るのは老人と女と子供。小学生でも出来る生徒は、畑を借りてさつまいもや馬鈴薯を栽培、出征兵士宅の手伝いなどそれはそれは様々な経験をした。

           食べ物は大切で、量を増やすために麦やくず米を混ぜて食べる。春になるとセリ、ヨモギ、なずな、大ばこ、どくだみなどを食べた。畑を持たない人が道端にこれらを採取する姿をよく見かけた。

           適齢期の若者が減り、生まれる子供も減った。それが、終戦とともにベビーブームを迎える。とにかく国を上げての難儀だった。

           70年経っても思い出すのはその当時のこと。つらい思い出だが、今では懐かしい思い出にもなっている。それが70年という平和な歳月のお陰だろうか。

          | 日本海新聞「やまびこ」投稿 | 07:14 | comments(0) | - | - |
          「ペンすらすら暇見ては書く」
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             母の投稿が久々に掲載された。1ヶ月余前の退院後、夏の猛暑と重なって極端に生活の様相が変わった。畑仕事から投稿に絞ったらどうかと勧めながら筆が進まない姿を気にしていた。

             しばらくして、封筒と切手が要ると言い出した。ああ、投稿するのだなと思いつつも、母からは掲載されたという話を聞くことがなかった。
             母は、投稿前に家族に原稿を見せない。ただ封筒と切手のことを言い出した時がその合図になった。

             もう諦めたかと思っていた時、再び封筒と切手と言われた。諦めていないと知る一方で今度は掲載されないかと気を揉んでいた。しかし、その後もそういう兆しがないまま、今日(29日)、陶芸教室のメンバーに掲載された記事を読んだと教えられた。

             掲載日は7月27日だ。この日は母の誕生日だった。あられと話すのは、新聞社が特に気を使って誕生日に掲載してくれたのではないかということだ。
             この日は朝から母を病院に連れて行き、誕生日だからといって昼食も外で食べた。疲れて帰宅するとそのまま居眠りをした。この日の新聞を読む余裕はなかった。

             夕方帰宅してから母に掲載されたことを伝えた。以下その内容。


            「ペンすらすら暇みては書く」

             月日の流れに休みはない。いつの間にかこんな年齢になったのかなと思うくらいだ。忘れることは得意、字はもちろん、人の名も。

             私は年末に考えた。長男に、毎年書ける日記を買ってくるように頼んだ。幅広くしっかり書く場所のあるものをと。

             長男は、私の思っていた品物を整えてくれた。思うことがしっかりと書ける。おまけにページの横には有名人の話が一句ずつ記されている。

             この間、ふと見れば「呉竹の ふしおもしろき 言の葉に 鳴らす扇の 風ぞ涼しき」(明治天皇)とあった。

             子供の時分、明治天皇は神様のごとく尊敬していた方であったことを思い出す。
             また、「老僧の 骨さしに来る 藪蚊かな」(高浜虚子)。

             その後、日記帳は私用の練習帳みたいな存在になり、隙をみては書き、夜ゆっくりと思う存分に書く。
             また新聞は師である。良い文章や大切なこと、テレビのニュースなどでも必要に応じて書くこと多しだ。

             ペンから遠ざかる傾向はあったが、今では非常に近くなり、ペンの運びもすらすらと動く。


             内心は、漸く掲載されたことに安心したことだろう。畑仕事は体調が快復するまで自重だと言っている。この分だと、投稿に拍車がかかるかも。タケ
            | 日本海新聞「やまびこ」投稿 | 07:38 | comments(0) | - | - |