2016.10.22(土)晴れ。6時、薄明りの中起きることにした。寝ていたのはアクセラの後部座席。1時間もしないうちに小さな揺れが繰り返し、なかなか眠れなかった。自宅の中では災害の不安が伴い、流石に籠れない。
夜明けは比較的平穏に訪れた。自宅に入り朝食、大工さんに屋根の雨対策を依頼、今日中には対応する約束を取り付ける。TVのニュースで県知事が、被災者向けにブルーシートの配給をすると述べていた。すぐに役場に向かう。受付でそのことを照会する。目下関係者が協議中という。決まり次第町内放送が行われる。帰宅すると早速放送があった。弟を伴い再び役場へ。4番目と5番目だった。
ブルーシートを受け取るべく並んでいると続々と人が集まる。整理番号では200番を越えた。当然数量が足りない。県に支援を要請して到着次第整理番号に従って支給作業が続けられた。私は、4番と5番ですぐに必要量を調達できた。運が良かった。
今日の課題の一つを済ませてひと段落、その後もう一つの課題である屋内の片付けに取り掛かった。
話を戻す。昨日は昼頃に震度4の揺れがあった。このところ頻発する揺れだと受け止めあまり気にしていなかった。午前中はサツマイモ堀に出かけた。全く自信がなかったが、掘ってみると結果は素晴らしかった。一つの株に手ごろな大きさで何個も芋が付いていた。上出来上出来と喜ぶ。
昼食後収穫したサツマイモを洗う。泥を落とさないと腐る。水道ホースのシャワーで洗っていたとき、グラッときた。オッ、大きいと直感したとき、頭上に屋根瓦が飛散してきた。ものすごい勢いだった。慌てて軒下に入る。あられに声を掛けて外に出るよう促す。そして、軒下の崩落を危惧して近所の空地へ向かった。あられは恐怖心にひきつった顔を座布団に包み後から続く。
時間は午後2時8分。時計がこのまま止まっていた。
時計は落下せずに、乾電池が落下していた。それで止まっていたと後でわかる。
集まった近所の人達は、揺れる度に身を震わせる。それほど衝撃的な揺れだった。班ごとに消息を確認、怪我人もいなかった。火災発生の無いことを確認、ライフラインも異常が無かった。後は、余震の状況だ。「今日はここで野宿かなあ。」と漏らす。だが、夕刻には、余裕が出来、寒さもあって殆ど自宅にしけこむ。
我が家の被害は住居部分の棟瓦が二棟分落下した。雨漏りの心配があった。築80年の仏間は天井裏の土壁が一か所外れ、他の部分は土がむき出しになっていた。
屋内は棚が2個ほど転倒、ガラスが散乱。それらに収納した陶芸作品が破損した。棚の下に扇風機が潰れていた。台と支柱がばらばらになって無残な姿だが、スイッチを入れると姿に関係なく羽が回り始め笑いを誘う。
置物の類は落下して大体壊れた。20分の1サイズのハーレーは、7キロの重さで一たまりもない。
最も被害が大きかったのは食器棚の中だ。しまりが悪いと少し前に直してもらった開き戸が開き、飛び出した食器が大量に壊れていた。ワイングラスも割れた。持ちすぎる物を減らせという意味かと勝手に解釈する。
母屋の前に納屋がある。1階を納屋にして2階は使っていない。昔2階を養蚕に使っていた。これが、傾いた。柱が何本か壊れているというのが専門家の見立てだ。いよいよダメかとあきらめをつける。その一方で、梁材などは木工用の材料にならないかと目論む。
夕方、ようやく屋根のブルーシートかけが終わった。一方、中止になった営農組合の会合を明日の夕刻開催することにした。
今思うのは、受けた被害のことよりも、これから発生する揺れがどうかという心配だ。あれこれ気を遣わず暫くのんびり過ごしたいと思う。その反面、早く日常に戻り、刈り取りや選果、そして木工に陶芸に励みたいという気持ちが芽生え始める。タケ