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タケとあられのブログ

リタイアした夫婦が、郷里の片田舎で両親の世話をしながら、農業や自治会の仕事に追われ、ゆとりがあるはずだった生活に揉まれながら諦めずに趣味に拘り、二人三脚で生き方を模索する、、、そういう記録を発信します。
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被災3日目、倒壊の危機、陶芸教室の惨状、運営委員会
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     2016.10.23(日)曇り一時雨。昨日に続き今日も朝晩の気温が下がった。夜具が薄いと寒気を感じた。昨夜は、流石に車中泊を遠慮した。使っていない部屋で布団を並べて寝た。珍しく二人ともいびきをかかなかった。就寝中、続く揺れで熟睡できなかったからだろう。着の身着のままに近い姿で寝ている。いつでも飛び出せるように。

     

     この後いつ大きい揺れが来るだろうという不安と共に、何時しか小さな揺れには慣れて片づけに目処を付けようと思う。このままでは日常に戻りにくい。残る片付けは落下した瓦だ。今日の作業を片付けに充てた。

     

    ○納屋の倒壊

     

     昨日の段階で納屋の傾き、柱の破損は分かっていた。朝刊を取りに出たとき傾きで生じた隙間が幾分広がっているように見えた。気になっていることがある。18リットル入り灯油缶2個が未使用だった。チェーンソーやガソリンタンク、除草剤など今後も使用可能なものが幾分ある。これらの搬出が必要だ。そういえば、先日引き取った丸テーブルと椅子もそうだ。陶芸用の電動ろくろ、草刈機の刃を磨く機械なども。

     

     朝食後これらを搬出して一息つく。その後、屋外に散乱した瓦の破片を拾う。あられと共同でコンテナ3ケースほど広い集めた。町が被災対策として設けた回収場所に搬出した。あとは隣地に落下した瓦だが、この量がとてつもなく多い。

     

     搬出して帰宅すると、建築士の方が再訪、納屋の傾きが広がったとして倒壊宣言をされた。先ほど中に入ったことを告げると、とんでもないという顔をされた。

     納屋の傾きは母屋に向かっている。倒れると母屋の片面が損傷する。想像するだけで背筋が寒くなった。大きい揺れが来なくても時間の問題だと気づく。早急に解体処理する必要があった。

     

     我が家を建築した工務店に電話をする。解体処理業者を早急によこすよう依頼する。1時間以内に確認に行かせる約束を得た。だが、その前に罹災証明を得るための危険判定士の確認も必要と知り、役場に電話をする。

     

     そこで分かったのは、県から派遣された判定士が2名、町内を順番に廻っているらしい。順番を待てという意味だが、納屋は待ってくれない。もし倒壊して2次災害が発生したらその責任を取る覚悟があるかと迫る。最終的に見切り発車止む無しとの答えを引き出す。

     

     到着した解体業者の確認でも、急を要することが分かり明朝より作業に取り掛かることになった。それにしても町の罹災証明発行が遅れている。検討中との連絡しかない。

     

    ○不謹慎な発想

     

     解体を決心した納屋には梁材がある。木工ろくろで製作する格好の材料が手に入りそうだと期待感が募る。不謹慎だと思う。だが、帰郷時にこの納屋は邪魔だと思った。昔養蚕に使った2階建ての巨大な建物。1階だけを納屋に使っていた。その思いを今まで温めていたのだが、地震がそれを決心させた形になった。

     

    ○陶芸教室の惨状

     

     会長さんと民芸実習館の中を確認することにしていた。13時に入館、中は想像通りだった。金属製の棚が一脚倒れていた。そこに仮置きした作品は悉く損傷している。棚が無事な場合でも、作品が飛び出して落下、粉々になる。私も、自信作のポット、首長の壺の姿が無かった。足元には、それらしいかけらが散乱していた。先日窯出しした素焼き作品が壊滅的な影響を受けた。

     

     意外だったのは、テーブルにただ置いていた作品が無傷だったことだ。軽さと安定度が幸いした。そして、陶芸家の工房から搬入した数多くの素焼き作品は、ほとんど無傷だった。コンテナに入れて津bbでいた関係で、揺れの衝撃が吸収された感じだった。

     

     後日片づけをすることにして退去した。

     いろいろ聞く話では、地元の著名な陶芸家の窯が被害を受けたらしい。さもありなん。私はむしろ、多くの作品や製作中のものが損傷したのではと気の毒に思う。陶芸家の天敵は地震だろう。

     

    ○割れた瓦の搬出

     

     帰宅するとあられが待ちかねたように言う。「瓦を片づけよう。」珍しくその積極的な姿勢に感心すると、本人はこれまでと同じだと意に介さなかった。

     

     我が家の敷地に落下した瓦は午前中に片づけた。残っていたのは隣地の畑に落下したもので、量が半端ではなかった。

     コンテナを多めに持ち出し、あられが片っ端から入れていく。瓦に入ったコンテナを6ケースずつトラックに乗せて搬出した。搬出場所には、家電、燃えるゴミ、燃えないゴミ、瓦、ブロック、壁土と軍団に分かれていた。コンテナを抱えて高く積みあがった山にさらに高く乗せていく。結構な力を必要とした。

     

     引き返して空コンテナを再び運び込む。こういう作業を4回繰り返してようやく隣地の畑がきれいになった。あられもよく頑張ったが、私も24ケースのコンテナを運んで随分消耗した。体全体が疲労感に包まれていた。だが、済ませたことで気分的には落ち着いていた。

     

    ○営農組合運営委員会

     

     7時開始で、1時間以内で終えると予告していた。運営委員会は全て1時間以内で終えている。

     

     資料を携え集会所へ赴く。鍵を開けようとしたが、地震でずれた扉の鍵穴に鍵が入らなかった。裏口の厨房から入った。此処は鍵に異常はなかった。電気をつけるとここも例外なく食器類が散乱する醜い有様だった。開き戸は必ず食器類が飛び出している。

     

     自治会長にその報告をして、組合の運営委員会に臨む。欠席が多かった。地震の後で怪我をしたひと、仕事で出られない人など。出席したメンバーも震災真っ只中で気がそぞろという状況だった。私は疲労感で緊張感が麻痺していた。

     

     用意した資料を基に、取りあえずとしながら、かいつまんで説明、合意を得ながらどんどん進めた。実際は、日程を前にした段階で私が調整して進めるとしたことで、合意に達した。負担が私に掛かる訳だが、そうでもしないと現状ではまとまらない。そして、都合が良くなければ、職権で無理を頼んで間に合わせるしかない。腹を括って臨んだため、結論に辿り着いたことで良しとした。

     

     今日出来ること、そしてしなければならないことを消化して満足感に浸る。揺れが続き、身辺は問題だらけなのだが落ち着いていた。タケ

    | 食べ物・健康・日常生活 | 18:49 | comments(0) | - | - |