ブログパーツUL5
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

12
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

タケとあられのブログ

リタイアした夫婦が、郷里の片田舎で両親の世話をしながら、農業や自治会の仕事に追われ、ゆとりがあるはずだった生活に揉まれながら諦めずに趣味に拘り、二人三脚で生き方を模索する、、、そういう記録を発信します。
<< 水田の草刈り、栗拾い | main | 文化団体代表者会議、猪の罠設置 >>
「作戦参謀辻政信」ある辣腕参謀の罪と罰 を読む
0

     「作戦参謀 辻政信」ーある辣腕参謀の罪と罰  生出寿著  光人社

     

     ブックオフで見つけた戦史ものだ。表題にある辻政信という人物を中心に日中戦争、インドシナ進攻、そして太平洋戦争を見つめ直した本である。読後感というより、読んでいる間から、(これは酷い)と思わざるを得なかった。明治の時代の戦い方に比べても準備は不十分、戦略は夜襲による白兵戦がもっぱらだ。兵站は間に合わず、作戦は相手や兵を進める進路の情報を持たないまま、兵力の不利を精神論で乗り切ることが出来ると考えた。

     

     その背景に、戦争推進派、特に陸軍参謀が独断で事を進めたことがある。その中心が辻政信だった。こうした背景や敗因の真実を知らされて、この頃のわが国の異常さを改めて痛感した。こういう歴史の汚点を国民が理解する必要があると思うのだが、いまだに国の中枢はそれを良しとしない。細かいことを書くより、本の中の記述をそのまま紹介した方が分かりやすいと考える。以下はその抜粋だ。

     

     「命賭けでよく戦った者が自決を強要されたり、敗北の責任を問われて重い処罰をうけ、最大の敗因である作戦計画作成・指導の当事者らは、責任を部下たちに転嫁し、自分らは軽い処罰で済むようにしているようである。

     いつの時代も、こういう仕組みになっている組織があるが、皇軍と称するこの組織でもそうであった、ということである。」

     

     「陸軍病院に入れられた元捕虜たちのところへ、司令部から、将校を長とする特設軍法会議団が乗り込んでゆき、非公開で裁判を始めた。被告は主に将校である。終了後、裁判官は将校被告らに拳銃を与えてひき上げた。まもなく、拳銃の発射音が響いた。全員が自殺したのであった。

     不可抗力で捕虜になったものを資材にするのにたいして、1万8千ないし2万8千もの死傷者や捕虜を出す戦闘をさせた高級指揮官や参謀で、責任を取って自殺する者は、ただの一人もいなかった。それどころか、少しも恥じることなく、自分らが惨憺たる目に合わせた部下たちに、死まで強要したのである。

     陸軍刑法でも、力尽きて捕虜になった者や、不可抗力で捕虜になった者を罰する項目はない。軍にあったのは、捕虜は恥ずべきもの、死んでもなってはならないものという不文律であった。それを認めれば、死ぬまで戦うという意思が無くなり、弱い軍隊になってしまう、と上層部が考えたからである。

     しかし、敗北に重大な責任がある者を相応に処罰せず、第一線の将兵に過酷極まる厳罰をもって臨むやり方では、真に精強な軍隊は出来上がる訳がない。」

     

    「実戦部隊長が言うべきことを言わず、作戦指導部の言いなりになって戦い、悲惨な結果を招く例が、太平洋戦争での日本陸海軍にかなりあった。」

     

    「マレー作戦では、敵情、地理、補給などについて詳細な知識を得て、それらに対する万全と言えるほどの対策を練っていたが、ニューギビア作戦では、敵情もろくに知らないうえに、地理や補給についての知識はほとんどなく、それらに対する自信ある対策などはまったく立たないのである。作戦はないに等しく、斃れてのち止むの精神主義で戦えというだけしかない。」

     

    「米軍の戦法は理詰め(合理的)で、戦術(かくひき)は不要である。力の正確な集中を考える科学的戦術である。無理を有理とする(敵のうらをかく)ことを戦術の妙諦と心得たのは、貧乏人のやりくり算段だった。」

     これは辻自身が後に自書の中で述べている言葉だが、こうした戦術をさんざんやって失敗した挙句に甚大な損失を生じたことへの反省はない。呆れたはなしだ。戦争に突入する前に十分な分析を行えば、こういう戦術も生まれることはなく、負けることが分かっていれば、そもそも戦争に踏み切らなかっただろう。

     

     ギャンブルで依存症になると、取り戻すチャンスが無い場面でもどんどんのめり込んでいくのは、もし思うような展開が訪れたらという仮定の下に行動するからで、損をすればするほど見込みのない仮定の上に立ってします。戦争という行為が何をもたらすかという大局観を見失って、戦局の打開に明け暮れする姿は依存症に似ている。その結果決断が遅れ、そのために甚大な犠牲を伴ったという現実に目を向けるべきだろう。それが先の戦争だった。

    | 読書 | 07:54 | comments(0) | - | - |