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タケとあられのブログ

リタイアした夫婦が、郷里の片田舎で両親の世話をしながら、農業や自治会の仕事に追われ、ゆとりがあるはずだった生活に揉まれながら諦めずに趣味に拘り、二人三脚で生き方を模索する、、、そういう記録を発信します。
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姑や母の生き方をまねたい
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     母が本当に久しぶりに投稿した。12月29日の日本海新聞「やまびこ」に掲載された。「やまびこ」は読者の声欄。

    「姑や母の生き方をまねたい」

     私の姑は娘時代、倉吉の機織りの仕事に出ていたそうで、絣織りが非常に上手だった。絣のブームに乗り、できた製品は飛ぶようにさばけた。

     口八丁手八丁で話題は多く、一との交わりも良かった。健康で医者いらず。近くにバス通りがあり、倉吉へ行っては買い物をしていた。96歳、敬老の日には、新聞で何回も紹介されていたが、ある日、昼間に絣を織り、晩には事故で帰らぬ人となった。

     一方、私の母は食料品店を営んでいた。弟は少々損をしてでも、母の老後の励みにさせると言っていた。そろばんをはじき、自分で仕入れ、寒いときには暖を取りながら客と会話を弾ませていた。

     母は嫁のブドウの収穫の終わりを待って店を打ち切り、医者通いを始めた。98歳を50日余り過ぎた日、母が「今晩集まって」というので子供一同集まった。4時間ほどしたら、苦しみなしで旅立った。

     姑も母も小柄で、最後まで認知症の気配も物忘れの兆候も見えなかった。私は長生きをしたいとは思わないが、姑や母のような生き方をまねたいと思う。今では、私は忘れることにかけては誰にも負けない。


     実はこの話は日常食卓で度々聞かされていた。毎日新聞を読み、世情にも関心をもつ母は、私の両祖母以上に色々知っているはずだ。今に生きる人間の感性は多少なりとも持っているはずで、随分暮らしの違う二人と比べるのは酷だと思う。

     日々天気が良ければ今でも畑仕事に打ち込み、我家の食卓の食材を提供してくれる。人それぞれの生き方があり、母には自分の生き方を全うして欲しい。
     この投稿原稿は、ある意味では物忘れを気にする意識の現れと言えるが、毎日何も心配せずに同じことをして暮らす訳にはいかないこの時代で生きることが大変なことだと、母には読後感想を述べて安心させた。 タケ
    | 日本海新聞「やまびこ」投稿 | 08:30 | comments(0) | - | - |