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タケとあられのブログ

リタイアした夫婦が、郷里の片田舎で両親の世話をしながら、農業や自治会の仕事に追われ、ゆとりがあるはずだった生活に揉まれながら諦めずに趣味に拘り、二人三脚で生き方を模索する、、、そういう記録を発信します。
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「混声の森」を読む
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     「混声の森」  松本清張  カッパノベルス

     

     読了までかなり時間が掛かった。字が小さいこと、会話も描写も表現が細かく文字を追っかけるのに時間が掛かること、ストーリー展開がどぎつく、私には重苦しさに長時間耐えられなかったことなどがある。

     精神的に辛い局面がこれでもかという調子で次々と発生する。職場での権力闘争、不貞がもとで崩壊する家庭、生身の人間なら潰れそうになるくらいくどい。そういう意味では主人公は超人的だ。策を弄して成功したかに見えて、最後はまたドンデン返しが待っているという皮肉な結末だ。何でこんな書籍を読み始めたかと途中で考える。それは、松本清張の著書だから。きっと面白いと予想して手に取った。

     という訳でこの本は余り勧めたくない。文中の一説を紹介したい。親と子の関係について主人公が担任教師と語る場面だ。

     

    「家父長家族では、親に対する服従が美徳とされ、孝行が道徳の根底とされていた。むろん、親の子に対する庇護・愛情は道徳的に要求されていたが、家の道徳としてはむしろ高校が主となり、親と子の相互の愛情ということは、あまり表面には出なかった。ところが、近代家族に会っては、親と子の結合は、人格相互の結びつきであり、孝行は義務的なものであるよりは、むしろ自然発生的なものであるはずだと考えられるようになった。」

     

     自然発生的だとすれば、自然発生しない場合もあり、植物や生物と同じではないか。孝行は自然発生的なものでないとするほうが合理的ではないかという疑問が生じる。それに対する考え方として、倫理社会という科目の中でこう答えている。

     

    「こうした反抗と孤独感とは、青年期の特徴であって、むしろこの特徴を積極的に生かすべきである。そのためには、反抗が単なる反抗や、安価なヒロイズムに終わらないように、反抗したい気持ちの世って起こるところを検討し、一方ではじぶんの在り方を反省し、他方では成人たちの世界のどこに欠陥があるかを正しく認識し、批判して、それを超える価値を自ら作り出すよう努力しなければならない。(後略)」

     

     このくだりは、作品が書かれた時代の倫理社会の教科書であり、文科省の指導要領から引用している。余りに論理的すぎて哲学的だ。こんなことは若者に理解されるはずがない。誰も耳を貸さない。著者の皮肉だ。ただ、早くから、儒教で言うような縦の人間関係から脱却しようとしていることが伺える。親と子が人格的に平等だとする。だが、人生経験の差や養育義務の関係がある限り、平等の概念を公平に分かち合うのが難しい。親次第ということになる。そんなことを考えさせられた。タケ

     

    | 読書 | 22:01 | comments(0) | - | - |